増え続ける引きこもり
内閣府の調査によると、40歳以上のいわゆる(中高年の)「引きこもり」は推計で63万3千人に上るとされています。そのうちの約4分の3を男性が占め、7年以上引きこもっている人が約半数に達しているということです。
引きこもりを始めた原因は「退職」が最も多く、次いで「人間関係」「病気」などとなっているようです。
「100年時代」とも評される長い人生ではありますが、ちょっとした切っ掛けで一旦ルートを外れるとなかなか元に戻れない(戻る場所がない)現代社会の状況は、一体どのように生まれたのでしょう。
長期間にわたり「ひきこもり」に対する診療を続けてきた筑波大学教授で精神科医の斎藤環(さいとう・たまき)氏は、8月24日の「AERA dot」において、全国の引きこもっている人の数は現時点で200万人以上と推計され、20年後には1千万人を超えるだろうと予測しています。
この30年近く、ひきこもりの人数はじわじわと増え続けている。しかしその一方で、就労支援にせよ治療機関にせよ、ひきこもり状態の人たちがそこから抜け出すことができるルートが少な過ぎると氏は指摘しています。
同じく精神科医で作家の熊代亨(くましろ・とおる)氏は8月5日の自身のブログに「『俺らが生きづらい社会』は『あいつらが生きやすい社会』」と題する一文を掲載し、(社会に適応できない人が増えている現状について)興味深い視点を提供しています。
ここ数十年の間に、日本社会はいろいろな意味で進歩したと、熊代氏はこの論考の冒頭に記しています。20世紀の日本人は今よりもずっと粗暴でもっとカジュアルに法をはみ出していた。成人が犯罪を犯す率も、未成年のうちに補導される率も、今よりずっと多かったということです。
現在では都市の街並みはどこも美しくなり、人々は行儀良く、清潔になっている。仕事や生活の面でも、業務は効率的になり、飲食店の店員はテキパキ働くようになったと熊代氏は言います。
たしか昭和時代の人々はもっと非効率に働いていたし、もっと業務の質にムラがあった。しかし、最近では、医療機関や役所や警察の窓口で横柄な態度に出会うことも少なくなったというのが氏の認識です。
情報環境という点でも、インターネットの普及によっていろいろな事が変わったと氏はしています。だが、こうした進歩の恩恵を皆が一律に受け取ったのかと言えば、私はそうは思わないと氏はこの論考で指摘しています。
精神医学の世界では、知的障害と診断されるほど認知機能が低いわけでもないが平均に比べれば低めと測定される人々のことを「境界知能」と呼んでいるということです。境界知能は「知的障害」と診断されないため、これ単体では障害者として援助の対象とみなされることはない(社会の中で普通に生きている)人たちです。
この「進歩」した社会が、こうした境界知能に当てはまる人々を生きやすくしているのかと言えば、彼らとてコンビニや市役所や警察窓口などを利用しているわけだから、便利で効率的になった社会の恩恵は受けていると言えると氏は説明しています。
しかし、どこでも便利で効率的なサービスを受けられる社会になったということは、働く際には(自分でも)便利で効率的にサービスを提供しなければないということもでもある。
第一次産業から第三次産業まで、多くの仕事がテクノロジーによって代替されるかホワイトカラー的な業務内容へと変わっていったが、その結果、愚直に肉体さえ動かしていれば一人前の給料を貰えるという仕事は、気が付けばほとんどなくなっているというのが氏の指摘するところです。
コンビニのレジ打ちであっても決して単純作業ではなく、オペレーションと呼ぶに値する作業になった。サービス業務には知的な柔軟さやコミュニケーション能力が期待され、行儀良く・効率的に・むらなく・安全に・確実にオペレーションをこなせる素養が求められるようになった。
無論、こうした職務の変化に苦もなくついていける人にとって、こうした職務の変化から得られるのは恩恵だけ。自分にとっての当たり前が世の中の常識になっていくわけだから、「世の中はどんどん良くなっていく」と感じているだろうと熊代氏は言います。
しかし、こうした職務の変化からふるい落とされる人、昭和時代であれば正社員になれただろうけれど令和時代には正社員に到底なれそうにない人からみれば、「世の中はどんどん悪くなっている」と感じるほかない。彼らにとって、世の中から自分は取り残されているという疎外感は不可避だろうというのが現状に対する氏の見解です。
こうした、「どんどん進歩していく世の中」からの疎外が、就労の世界だけでなく、たぶん、あらゆる領域で起こっているというのが、この論考で熊代氏が強く懸念するところです。
情報リテラシーや金融リテラシーに優れた人々にとって、インターネットやスマホを使った情報革命はチャンスの拡大であり「世の中が良くなっている」と感じるための好材料とみなされることだろう。
しかし、情報リテラシーや金融リテラシーを身に付けることの難しい人々―それこそ、例えば境界知能の人々―にとって、情報革命は手に負えないリスクや搾取となって立ちはだかるということです。
社会の変化や複雑化について行ける人とついて行けない人。一生懸命にやってもだれからも評価されず、混乱し、見捨てられたと感じ、社会からの疎外感を募らせる人々が、これから先もさらに増えていくということでしょうか。
令和時代の情報環境のなかで、いったい誰が巨大企業に最もひどく搾取され、誰がネット山師たちの好餌とされているのか。
「自己責任」とばかり言っていられない厳しい環境の中で多くの人たちが心を閉ざし、社会との関係を断っている現実をもう一度振り返る必要があるのかもしれません。